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東京高等裁判所 昭和39年(く)94号 決定

主文

原決定を取り消す。

理由

さて、本件の事実関係は、次のとおりである。

すなわち、被告人らにに対する公職選挙法違反各被告事件について昭和三八年七月八日墨田簡易裁判所裁判官山田博は被告人らに対し略式命令を発し、同年八月一六日該命令は、被告人らに送達されたのであるが、被告人らはその送達前の同月一二日同裁判所に対し、右略式命令に対し、各正式裁判の請求をした。ところで、同裁判所は右各請求に基いて、同年一一月一五日の第一回公判期日を指定し、公判期日を開き、その後同三九年六月四日の第九回公判期日にいたるまで実体の審理を進め各般の証拠の取調を了し、検察官、弁護人の意見及び被告人らの最終陳述を聴いたうえ、結審し、次回の判決宣告期日を指定した(但し、被告人青木嘉蔵については、その余の被告人と共に第七回公判期日まで手続を進行したが、第八回、第九回公判期日に不出頭のため審理を分離し次回公判期日を指定した。然し、その間同被告人についても主要な証拠の取調は終つている)。然るに、同裁判所は、被告人青木嘉蔵を除くその余の被告人らに対する第一〇回公判期日において、期日を延期したうえ、同年六月二〇日被告人らのした正式裁判の請求は、正式裁判請求権発生前の請求であるとの故を以つて、いずれもその請求を棄却した。なお、検察官も前記公判審理の全過程を通じ、被告人の正式裁判請求の適否について何らの意見を述べていない。以上の事実は、本件記録により明認できるところである。

そこで、原決定の当否について検討してみる。

さて、刑訴法四六五条一項は、略式命令を受けた者は、その告知を受けた日から一四日以内に正式裁判の請求をすることができる旨を規定しているが、略式命令の告知は、それが裁判の一種であり、かつ、公判廷でこれを告知するものではないから裁判書の謄本を送達してこれをなすべきであるばかりでなく(刑訴規則三四条参照)、裁判は告知によつて外部的に成立するものであるから、略式命令送達前には未だ告知がなく、略式命令があつたということを得ない。従つて、その受送達前には、これに対し、旧刑訴法五二八条一項所定の正式裁判請求権の発生するいわれがない。(先例として、旧刑訴法について、大審院昭和一四年六月一七日判決、判例集一八巻三四一頁、現行法について、東京高等裁判所第一〇刑事部決定、高等裁判所判例集一二巻九号八六九頁以下参照)してみると、被告人らに対する略式命令送達前になされたこと記録上明らかな本件正式裁判請求は不適法であつて、その限りにおいて原決定は正当というべきである。この点について申立人は、裁判所が略式命令を発した以上それが被告人らに受送達前であつても、既に、正式裁判の対象となる略式命令は存在しているというが、かかる見解は裁判の内部的成立とその効力発生要件たる外部的成立とを混同するものであつて、採用の限りでない。更に、申立人は、被告人らが本件正式裁判の請求をした当時においては、既に被告人らと共犯の関係ある者に対し被告人らの氏名をも連記した一通の略式命令書の謄本が送達されていて、被告人らとしては略式命令の内容を既に知つていたものであるから、これに対する正式裁判の請求をなすことは可能であつたというが、かかる事実があつても、被告人らに対し各自略式命令書謄本の送達がない以上、同人らに対する関係において略式命令があつたといえないことは当然であるから、この見解も又採用できない。

次に、申立人は、本件正式裁判請求が前記の理由により不適法であつたとしても、裁判所がこれを受理し、その後略式命令書謄本の送達があれば、その時において、手続上の瑕疵は治癒すると主張する。条件附(停止条件)訴訟行為をこの限度において認め、略式命令書謄本の送達があれば、その送達前になされた正式裁判請求は、送達という条件の完了をまつて、この時から右請求は効力を発生するという見解もここでひかれてよい。これらの見解には確に聴くべきものがある。そして、有力な学説としてもこれに左袒するものもある。然し、当裁判所としては、やはり、これらの見解を是認することはできない。思うに略式命令書謄本の送達前、すなわち、それが被告人らに対する関係において裁判として外部的に成立していない時期において既に正式裁判の請求をするということは、略式手続によつて裁判を受けることに異議のない旨の意思表示をした者の態度としては、およそ自己矛盾である。これを容認するということになれば、場合によつては、略式命令の内容がどんなものであろうとも、その当否の如何を問わず、いちおうこれに対しては異議を申立てるといういわば裁判に対する不信を認めることにもなりかねない。それを具体的に選別するということは、手続に手続を重ねることとなり、手続の安定、劃一性はとうてい期しうべくもない。次に、この場合に限り停止条件附訴訟行為を認めるとか、送達によつて手続の瑕疵が治癒されるとする議論を採る場合も、いつたんなされた正式裁判申立行為の効力が、その後になさるべき略式命令書謄本の送達の時迄、効力が浮動しているということになるわけで、手続の安定劃一性を害うことはもちろんである。しかも、この場合手続の安定劃一性を犠牲にしてまでも正式裁判申立人の利益を図る必要はどこにもない。略式命令書謄本の送達を待てばよいのであるし、正式裁判の申立期間は、それから一四日あるからである。

さて、然らば、本件の場合、前記の考え方に従つて、被告人らのした正式裁判請求は不適法としてこれを棄却し去るのが果して相当であるといえようか。当裁判所としてはこれには重大な疑問を感ずる。本件においては、裁判所が被告人らのした各正式裁判の申立の不適法なことを自ら看過して、六月有半の間公判期日の回を重ね実体審理を進め、被告人青木嘉蔵を除くその余の被告人らについては既に結審し、青木被告人についても公判審理の重要な部分は既に終つていることは、前に述べたとおりである。もはや、この段階まで手続が進行した以上、被告人らとしては、その各正式裁判の申立が適法なものとして受理され、実体の裁判を受けられるものと期待したであろうことは当然である。原裁判所としても自らの行為により被告人らに対しかかる信頼と期待とを与えたのである。そして、原審検察官もかかる手続の進行について何らの異議をも述べていないのである。この間、被告人及び弁護人(本件申立人)ら訴訟関係人の費した時間と労力の多大であつたことはいうまでもない。それにも拘らず、手続がこの段階までに発展した後、突如として従来の手続は一切無効であるとして遡つて被告人らのした各正式裁判の請求を棄却してしまうことは、これらの期待と信頼を裏切り、被告人ら訴訟関係人がこの間費した時間と労力とをすべて水泡に帰せしめるものである。原裁判所が自ら訴訟条件の欠缺を看過してそのような外観と信頼とを与えたものである以上その外観に信頼して訴訟行為を進めてきた被告人らの利益は当然保護されて然るべきである。この段階において、裁判所が被告人らのした違法だけを追及することは、手続における正義の理念にも反することになろう。更に、被告人らにしてみれば、既にこの時期にまで立ち到り正式裁判の請求を棄却されたのでは、再び正式裁判の申立をする道を閉ざされてしまうことになるのはもちろんである。原裁判所が適切な措置をとつた場合には、被告人らとしては、いつたんその各正式裁判請求を不適法として棄却されても、その請求を取下げたものでない以上、再び適法な正式裁判の請求をする機会のあつたことを思えば、この点においても、もはや、被告人らの各正式裁判の請求を棄却することは何んとしても正当なものとは認められない。検事はそれはかかる違法な措置をした者の行政上の責任問題として考えれば足りるというが、それは当らない。裁判官の行政上の責任を問うということと、被告人らの権利をどのようにして保護するかという問題とは自ら面を異にしたことがらである。手続内において被告人らの権利を救済する道があるのではないかが先ず検討されて然るべきである。

以上のように考えてくれば、被告人らのした正式裁判請求が不適法であつたことは前記のとおりであるが、原裁判所がその手続の瑕疵を看過して実体の審理をこの段階まで進めてしまつた以上、も早や右手続上の瑕疵は治癒されて、原裁判所としては本件について実体の裁判をすべき義務を負うにいたつたものと解すべきである。すなわち、本件の場合は、手続の安定劃一性を犠牲にすることがあつても、それにもまして裁判所としては、被告人らの権利の救済を優先させる必要があるものというべきである。

されば、原決定は失当というべく本件抗告は理由があるので刑訴法四二六条二項により原決定を取り消すこととし主文のとおり決定する。(裁判長判事三宅富士郎 判事寺内冬樹 谷口正孝)

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